12月20日 オンエア
一体なぜ? 超不運な男がサンタに変身!
 
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失業を繰り返す、うだつの上がらない一人の男。 そんな彼だが、クリスマスになると…妙ないでたちに変身! すると…全米が毎年、大騒ぎに!
「なぜ大騒ぎになるのかって?その理由は…僕が『シークレット・サンタ』だからさ!」
『シークレット・サンタ』とは、一体何者なのか?
そもそも、悲惨な人生を送る男が、なぜ、全米を騒がせるサンタクロースになったのか?

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今から52年前、男は絶望のどん底にいた。
ラリー・スチュワート、23歳。 生まれは、アメリカ・ミシシッピ州。 そこで、セールスマンとして懸命に働いていたのだが…会社が倒産。 給料も未払いのままで、手持ちの金はほぼ尽きていた。 そのため、住む家も失い、頼れる相手もなし。

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最後に食べたのは、2日前。 空腹のあまり、気づいた時にはむさぼるように食べていた。
会計時に我に返り…「あれ?財布をここに入れたはずなんだけどな。」と言って、何とかその場を取り繕うとしたが、警察に突き出されることも半ば覚悟した。
すると、その時…店のコックが「これ、あなたが落としたんじゃないですか?」と言って20ドル札を差し出した。 その金を受け取り、何とか無銭飲食をせずに済んだ。

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その後、ミズーリ州カンザスシティに移ったラリー。 そこで友人から借りたお金で商品販売の会社を設立、心機一転、仕事に打ち込んだ。 やがて結婚し、子供も授かった。
こうして幸せな生活を手に入れたかに思えたのだが、レストランでの一件から6年後…不況により、会社が倒産。 その日の食事代に困るほど、追い詰められていた。
貧しさのあまり、ラリーは銀行強盗を決意。 だがその直前、6年前の出来事を思い出し、なんとか思いとどまることができた。

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彼は、心を入れ替え、懸命に仕事を探した。 その結果、セールスマンの職を得る事に成功。
ここで、誰よりも真面目に働いたのだが…勤め始めて1年後。 またしても、職を失った。 なぜ自分ばかり、こんな辛い目にあうのか? ラリーは人生を呪った。

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そして、リストラから2週間後、クリスマス・イブを迎えた。
道端でポップコーンを買おうとした時、その店員が上着を着ていないことに気がついた。
ラリーは、「辛いのはオレだけだと思っていたが、真冬に上着を買えない人もいるのか…」と思った。
そして、お釣りとして帰ってきたお金から、20ドルを抜き、店員に差し出した。
「君へのプレゼントです。何か羽織る物を買う足しにでもしてください」と言って。
この彼女の笑顔が…ラリーの心に明るい火を灯した。

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そして、ある行動に出る! ラリーは、貯金を下ろし、困っていそうな人や貧しい人に20ドルをプレゼントしてまわった。 せめてクリスマスの二日間だけでも幸せな気分を味わってほしい、その思いで。
もちろん20ドルは大金ではない。 しかし、貧しい人々にとっては、大きな助けとなり、ラリー自身も温かい気持ちになれた。

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翌年、ラリーは友人と長距離電話の会社を設立。 今まで以上に、懸命に働いた。
そして、その年のクリスマスにも、自身が暮らすカンザスシティの街中で、2日間、20ドルをプレゼントする活動を行った。 生活はまだ安定しない状況だったが、それでも彼は貯金を崩し、少しでも多くの人に渡した。
翌年も…そして、またその翌年のクリスマスにも、ラリーはこの活動を毎年続けた。 無論、自分がどこの誰なのかは明かさずに。

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すると、不思議な事が起こり始める。
『シークレット・サンタ』として活動をすればするほど、会社の業績が上昇。
事業は軌道に乗り、長年、生きるために精一杯だった生活から抜け出す事ができたのだ!

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やがて…20ドルだったお金は100ドルへ。 より多くの人たちにプレゼントした。
次第にラリーの活動は、メディアに取り上げられるようになった。 その一方で、この謎めいたヒーローの正体に注目が集まり始めた。 そしていつしか世間はこの男の事を、『シークレット・サンタ』と呼ぶように。 自分が『シークレット・サンタ』である事は、家族にも内緒にしていた。

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そして『シークレット・サンタ』を始めて、9年目のクリスマス。 ついに妻に『シークレット・サンタ』の活動がバレてしまった。
だが妻は…「私も生活費をもっと節約して、シークレットサンタさんが、たくさんの人を助けられるように協力するわ!」と言ってくれた。
以来、家族もラリーの活動を陰から支えるように…

『シークレット・サンタ』を始めて17年目、47歳となったラリーは、匿名を条件に取材に応じることになった。 見知らぬ人に親切にする行動が、もっと広まってほしいという、願いを込めて。
マクガイヤー記者はこう話してくれた。
「ラリーさんは、売名行為と取られるのは自分の精神に反するので、決して表舞台には出ようとはせず、名前はもちろん、家族、仕事の事も一切秘密にしたのです。」
匿名の報道がなされてから、世間の『シークレット・サンタ』への関心は、より一層高まっていった。

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そんな中、ラリーに、ある想いが芽生え始める。 ラリーはマクガイヤー記者に会いたい人がいると相談したのだ。
そして…シークレット・サンタを初めて21年目の年、その人が見つかったという。 ラリーはその人物に会いに行った。
その人物とは…28年前、ラリーが無一文にも関わらず、レストランで食事をし、落ちていた20ドルに助けられた時の事…
ラリー「あれ?ちょっと待てよ。骨を拾った時…20ドルなんて、落ちていなかった。という事は…!落ちてたんじゃない 20ドルは…あのコックさんのお金だったんだ」

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この男性の名は、テッド・ホーン。 すでに店を辞めていたため、なかなか所在が分からなかった。
ラリーはテッドにこう伝えた。
「あなたが私にしてくれた事を、いつか私も人にしようと決めていました。それで、『シークレット・サンタ』を始めたんです。」
そして、その時のお礼として、1万ドルを手渡した。

テッドさんが当時を振り返る映像が残っている。
「あの時、彼を警察に突き出す事も出来ました。でも、自分で過ちに気付き、他人への優しさを知ってもらいたかった。それをずっと覚えていて、人々に幸せを与え続けている事には頭が下がります。」
テッドさんは、渡された1万ドルを、近所の生活に苦しんでいる人たちのために使ったという。

その後、ラリーさんの『シークレット・サンタ』の活動は、全米に広がった。
2001年には、アメリカ同時多発テロ事件があったニューヨークで、2万5000ドル(当時約300万円)を。
2005年には、ハリケーンの被害を被った地域に、7万5000ドル(当時約900万円)を配った。

そして、活動を始めて28年目。 58歳となったラリーさんは突如、自身が『シークレット・サンタ』である事を公表したのである。
実は、この年の4月、食道ガンを患い、余命わずかと宣告されたのだ。
マクガイヤー記者「彼は死期を悟り、カメラの前に立ちました。小さな思いやりを広めてほしいというメッセージにしたかったのだと思います。」

正体を明かしたラリーさんへの反響は大きかった。 なんと…二日間で7000通もの手紙やメールが届き、その大半が…自分も『シークレット・サンタ』になって、幸せを配りたい、というものだったのだ。
ガン宣告から8カ月後のクリスマス。 ラリーさんは病気をおして、カンザスシティの街中で、『シークレット・サンタ』として活動した。 彼のプレゼントにより、多くの人が笑顔でクリスマスを迎えられたのである。

そして、それから18日後…2007年1月12日。 ラリーさんは58歳でこの世を去った。
クリスマスのヒーローの訃報は、全米で報道され、多くの人が悲しみに暮れた。 ラリーさんが活動したのは28年間、配った総額は150万ドル、およそ1億8千万円と言われている。 彼に救われた人々の胸には、その笑顔が、優しさに満ちた永遠のサンタクロースとして、刻まれている。

ラリーさんは亡くなってしまったが、『シークレット・サンタ』がいなくなる事はなかった。 実はラリーさんは生前、『シークレット・サンタ協会』を設立。 その仲間たちが、今現在も毎年クリスマスに活動を行っている。 彼の想いは、これからも受け継がれ、そして世界へと広がっていく。
生前、カメラを前に、ラリーさんはこんな言葉を残している。
「人に優しくすると私は温かい気持ちになれます。それは二重の喜びです。相手のためだけではなく、自分のためにもなるのですから」

28年もの間、多くの人に幸せを届け続けた、ラリーさん。 自身が『シークレット・サンタ』であると、公表したあとも、家族のことだけは秘密にしていた。 それは、自分がこの世を去った後、迷惑をかけたくないとの思いからだった。 そして、彼の死後、家族が表舞台に登場する事は一切なかったのだが…今回アンビリバボーは、世界で初めてご家族の取材に成功!
応じてくれたのは、4人兄弟の次男、ジョンさん。 現在、コンサルタント業を営む傍ら、父の影響もあり…ボランティア活動に尽力しているという。
普段のラリーさんについて聞いてみると…
「父は、いつもオヤジギャグを飛ばしていました。人に優しくするように、寄付するようにと言っていた事よりも、ギャグの方を覚えています。」

そんなジョンさんは、『シークレット・サンタ』として活動する父の姿を見て、感じたことがあるという。
「父は恩返しをしたかったし、他の人々に恩返しをすることで、エネルギーを得ていました。ほんの少しの希望で、人生は大きく変わる。自身の経験や人々の反応からそれを目の当たりにして、感動を覚えたんだと思います。」
「父はごく普通の夫であり、ごく普通の父親でした。それでも世の中のために良いことはできます。良いことをするために、完璧な人間である必要はありません。父は敢えて身分を隠すことで、それを伝えたかったんだと思います。」